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拡大解釈と過小評価

拡大解釈は、客観的にみてもあまり大した問題ではないことを
ことさら大げさに気にして悪い意味にとらえてしまう思考の歪みです。

例えば、車の免許を持っていないこと、酒が飲めないこと、
運動が苦手なこと、字が下手なこと、カラオケが苦手なこと、
人ごみが苦手なこと、人と話すとき緊張してしまうこと、
恋愛経験が少ないこと、貯金が少ないこと・・・などなど、
そうでない場合を考えてもそれほど大した違いはないと
普通は考えられるようなことや、
ちょっとしたその人の欠点や短所かもしれないが、
考えようによっては個性であるようなことまで、
あるいは、少なくともそのくらいのことで人生や人格がすべて
否定されることは通常ありえないと一般的に思われる類のことを、
すべて、そのせいで不幸になる、良いことは起こらない、
自分が完全にダメであることの証拠だと考えてしまう思考の歪みです。

過小評価はそれとは逆に、客観的に自分の長所やプラス面に対して、
プラスに受けとらなかったり無視してしまう態度です。

例えば誰とでも仲良くできる、人の悪口を言わない、曲がったことは嫌い、
まじめ、無駄づかいしない、努力家・・・
これらのプラス面を評価しないで無視するか、逆に、
損をしているとかマイナス面であるかのように考えてしまう思考の偏りです。


拡大解釈も過小評価も、あたかも初めから結論ありきで、
事実を個人的にねじまげてしまうところに特徴があります。
まず、「自分はダメだ」という前提があるからこそ、
小さい微々たる欠点をことさら大げさに解釈して悪い意味にとり、
それが致命傷だと信じてしまうのです。
逆に、プラスで有利に働きそうな事実に対しては、
焼け石に水で手遅れで不十分で
今さら何も役に立たないんだと信じ込みます。
まるで、ちょっとでも期待して裏切られるのが恐いかのようです。

事実を受け入れて予想外のダメージを受ける心配をするよりも、
自分が信じ込んだ限界の範囲内で解釈評価を続けてさえいれば、
少なくとも「自分はダメ」であることを誰よりも知っているという
安心感が得られるので、妥協し続けるのかもしれません。

しかし、そんなデタラメで、自分の本心が満足するわけがありません。
私たちの本来の心は、事実を間違って認識し信じ込もうとするウソに、
やがては嫌気がさしてきます。

勇気をもって、自分のいいところと嫌なところを整理することです。
決して、欠点は致命傷でなく、長所はゼロではないのですから。

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コメント (1)

あるとき社会科学に毒されていると評されたことがあります。どんな科学領域にも共通して言えることですが、
断定は科学の的であるが、論理的に説明が出来れば、まずは論理(場合としては屁理屈?)が成立するので、三段論法のような考え方で説明ができたり、説明を受けたりすると、自分の考えが認められた上で肯定されたり否定されたりするので安堵します。

拡大解釈している状況なら安心もできますが、縮小解釈のままで大ダメージを食らうことが一番恐ろしいのです。ケースバイケースですから、一概にも言えないのですが・・・。

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2007年03月11日 15:58に投稿されたエントリーのページです。

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